はじめてラクダを見た者はこの未知なものから逃げ出した。二度目に見た者は近づいた。三度目に見た者は、勇気を出して、ラクダにつける面繋をつくった。

慣れるということは、こんなふうに、すべてをなんでもないものにする。恐ろしく奇妙に見えたものも、続いてやってくると、私たちには見慣れたものとなる。

さて、ついでにもう一つ。見張りに立たされた人たちが遠くから海上になにかを見て、あれは強力な軍艦だ、と言った。しばらく経つと、あれは火船、ということになった。ついで、小舟、ついで雑嚢となり、最後に、水に浮かぶ棒きれになった。

*面繋(おもがい):馬の頭の上からくつわにかけて飾りにする、ひも。

引用元:座右の寓話 戸田智弘 出版社 ディスカヴァー・トゥエンティワン
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ラクダは穏やかな性質で、人にも懐きやすいと言われているようです。また、砂漠を越えるために、不可欠な動物でもあります。

しかし一見すると歪で奇妙な生き物にも見えます。初見だけで人や物事を判断すると、物事を大きく見誤ることがあり得ます。

後半の話もまた、遠目には恐ろしい何かに見えたとしても、近づいてしっかり観察すれば全く大したものではなかった、ということも多くあります。

自分も年齢を重ねるにつれ、過去の知識や経験をもとに、初めて出会う物事を判断してしまうこともあるように思います。とはいえ、その直感が当たっていることもしばしばあるので匙加減が難しいのですが...。

初見は慎重になってしまうのもやむを得ませんが、そのイメージで決めつけず、少しずつ歩み寄って丁寧に観察すると、実は良い機会や縁だったということもあり得るかもしれません。それをするための心の余裕を確保しておくための習慣もまた大事にしたいところです。